

どんなにメールで愛情を深め合ったとしても、それは大変狭く、底の浅い感覚であることを忘れてはいけません。人間関係は、どんな形であっても、現実から乖離してしまっては相手との親睦も疑いざるを得ないのです。メールはあくまでも一つのツールであり、きっかけです。
もちろん面と向かっていえないことをメールで巧く補うこと、例えば、なかなか口では言えないようなことなどを伝えられやすいのもメールの利点ですから活用し泣いてはないです。
ここで改めて考えなければいけないのは、メールの力を頼らずに、しかしメールを巧く利用するということです。メールがきっかけとなって始まる愛があって、はれて直接対面し、交際をスタートさせたとしても、面会することが数を増していくうちに、昔のようにメールでのやりとりは俄然少なくなるという自然の流れです。
しかし、何か諍いが起こったときに、二人の愛が以前よりも若干低空飛行をしているとき、その心をつなぎとめてくれるのに一枚かんでくれるのもまたメールなのかもしれません。
人には直接相手を目の前にしてことばを詰まらせたり、喉元から先に思いを届けられないシーンがよくあります。
そんな時にメールは絵文字やデコメといった多種多様ないろどりをもった機能で、時に、ただの文章にはないそれ以上のフォローをしてくれます。とはいっても、注意しなければならないことも暫しあります。
それは「深刻な話しをする時、夜中に作ったメールは送信しない」という陥りがちな"穴"です。というのも、ほかの夜中の脳の思考回路が、通常通りに機能していない場合が多いからです。
これは、電話などのコミュニケーション手段でも同じです。たとるならば、深夜ドラマやお笑いがとても面白くても、実際にゴールデンタイムに移ると若干パワーダウンしたかのように思える感覚に似ており、面白い奇抜なアイデアがそこにはあるものの、後ろ向きで衝動的な傾向が強いのが深夜帯なのです。メールはいつでも送信できます。
だからこそ、相手の生活リズムはもとより、こうしたバイオリズムの併せてメールを送信したほうがベターでしょう。メールは二人の関係に於いては、縁の下の力持ちのような存在です。文面を工夫したりしながら、一発逆転さえ不可能ではない、いわば頼れるサポーターのような存在なのかもしれません。