

最近では、携帯電話も大変多機能になってきました。絵文字に社メール、ムービー・・・ets使い方によって、コミュニケーションの幅はどんどん広がる一方です。
しかしながら、どんな万能な携帯メールでも会った時の、人のぬくもりを凌駕できる感覚や雰囲気はありません。人と顔を合わせてみて、そこで初めて通じ合えるものが生まれるのです。
そういった直接面会した時の臨場感やリアリティは、メールでは伝わりません。友達や恋人関係であっても、一緒の時間を共有して初めてそこに絆や、自分の感情を見つけたり、知ったりすることができるのです。
メールでどんなに話題が尽きなくとも、実際に面と向かって話してみると「印象が違う」、「いい人なのは解るんだけど・・・」というような肩透かしをするような経験があることともいます。
そういった生理的になんとなく合わないことは、いってしまえば当たり前であり当然あるのです。残念なことですが、メールは言葉のやり取りのそれ以上でも以下でもないのです。
文字や写真のとして、実生活を切り取って相手と共有しているのは、しょせん視覚でのやりとりの域を逸脱し得ないのです。
一緒に食事をしたり、自分の声をもってお喋りする、耳や肌や舌を使って全身でコミュニケートするお付き合いを補いきることはかなわないのです。
メールで分かり合えたと感じることを否定するわけではありませんが、それはあくまで相手の"ほんの一部"。言葉に出来ない、相手の他愛なさ、ひいいては生活をトータルして知ることはメールでは出来ません。
相手のちょっとしたしぐさ、それらを時間を掛けて少しずつ発見しながら、少しずつ少しずつ理解していくのが人間の関係です。
文章でも相手のことは見えてくることもありますが、それを勝るのが、実際の相手に向き合って相手と同じ空間に身を置いて共有することなのです。
もちろん人生論まで行かなくても、自分の身の回りの話をきいてみるのは、直接会う前にある程度把握しておくことは、実際にあってみる上でも疎外感や生理的な不一致を軽減することは可能ですから、積極的にやりとりしておくこともある程度求められます。でも、あくまでメールテクニックは二の次。
むしろ文章力に過信したりすることなく、相手の心の深淵や本質を垣間見るために、丁寧で真摯に相手に向き合うメールのやりとりを意識することが大切なのです。